地球上で最も偉大なエンターテイナー、マイケル・ジャクソン。
世界中を震撼させたポップアイコン死亡のニュース。
世界中を震撼させたポップアイコン死亡のニュース。
悲しみに暮れるマイケルのファンは、"マイケルは永遠に僕らの前で歌い踊ってくれるエンターテイナー"だと思っていただけに、心臓麻痺による彼の突然の死というニュースのショックからまだ立ち直れずにいる
50歳になるポップスの大御所、マイケル・ジャクソンは先週木曜日、ロサンゼルスの自宅で急に容体が悪化し病院に担ぎ込まれた。マイケルのスタッフ達は、「彼の呼吸が急に止まり、そのまま倒れこんだ」と、興奮した声で救急隊員に話した。倒れた現場に1番近い救急サービスセンターに着いた時には、マイケルの主治医が彼のそばに付き添っていた...。
その後、ロナルドレーガンUCLA医療センターへと急行する際中にも、救急チームはマイケルの命を救おうと必死に試みたが、約1時間後の6月25日イギリス時間午後10時26分、彼の死が発表された。ジャーメイン・ジャクソンは記者発表の席でこのニュースを確認し、目にいっぱいの涙を浮かべながら、「ポップス界の王者である僕の弟は、心臓発作のため、亡くなりました。」と発表した。
マイケルの親友ユリ・ゲラーは、
「世界中の人達が私と同じように、悲しみに暮れている事と思います。きっと、沢山の人達が偉大なエンターテイナーの1人、いや、それ以上に、地球上で最大のエンターテイナーを失ってしまったという事実を実感している事でしょう。彼はあんなに元気に歌い踊っていたのに。マイケルは僕にとって、かけがえのない親友でした。僕にはマイケル・ジャクソンがいない世界なんて、全く想像する事が出来ません。」と話している。
マイケルと一緒に、世界中で大ヒットしたアルバム"スリラー"そして"バッド"の制作に関わった音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、
「僕は、全く予期しなかったこの訃報に本当に混乱しています。マイケルは、類まれなる才能、プロとしての誇り、そして努力や思いやりの心...全てを兼ね備えた男でした。私は今日、大切な弟を失ってしまいました。そして、私の魂も
彼と共に奪われてしまったような心境です。」と語る。
ファン待望の世界公演「This Is It」を一目見ようと、既に数百ポンドを支払って入場券を購入しているファン達は、マイケルの突然の死に相当なショックを受けている。
「マイケル・ジャクソン・ワールド・ネットワーク・ファンクラブ」のマット・ブランクは、
「マイケルの死のニュースに愕然としています。これが現実とは信じられません。過去にもマイケルの健康状態については時々取り沙汰されていましたが、今回の突然死の原因は何よりもまず、彼が抱えていた数多くのストレスがその原因の1つではないかと思っています。マイケル・ジャクソンが既にこの世の中にいないなんて、考えただけでも淋しさでいっぱいになります。」と語っている。
1997年にダイアナ妃が亡くなった際の追憶と同様、ファンの多くは、かつてマイケルが訪れた各地でキャンドルライトを灯し、彼の死を悼んだ。また、1970年代に"The Jackson Five"として数多くの公演を重ねたニューヨークのアポロ・シアターでも、彼のヒットソングを歌いながら、追悼の思いを込めて深く頭を下げ、"In Memory Of Michael Jackson:A True Apollo Legend.1958-2009(真のアポロの殿堂)"とサインする数多くのファンの姿が見られた。
アポロ・シアター財団の理事長、ジョネル・プロコープは、
「マイケルは1969年、9歳の時に彼の兄弟達と初めてアポロで演奏し、見事「アマチュア・ナイト」を受賞しました。私達はマイケルを真のアポロの殿堂として、その名を永遠に心に刻み、彼の見事なプロフェッショナリズムと優雅な歌声を讃え続ける事でしょう。」と追悼の辞を述べている。
その間、ファンの多くはネバーランドやマイケルが幼少時を過ごしたエンチノの家、そして彼が最後に過ごしたベルエアの家などに集まり、静かに歌を歌いながら、彼らにとってのアイドルに別れを告げていた。
マイケルの訃報を聞いたジャクソンファミリーはロスに駆けつけ、家族全員で静かに彼の死を悼んだ。そして、マイケルの3人の子供達 - プリンス・マイケル、パリス、通称ブランケットと呼ばれているプリンス・マイケル2世、そして彼らの祖母キャサリンと一緒に追悼の日々を送るだろうと言われている。
また、1994年にマイケルと結婚したかつての妻リサ・マリー・プレスリーは、「とても悲しく、混乱しています。マイケルが愛してやまない、彼の3人の子供達とご家族に心からお悔やみを申し上げたいと思います。マイケルの死は、多くの人々にとって大きな損失だと思います。」と述べている。