そのなかでも、映画の中でホイットニーが歌う『オールウェイズ・ラヴ・ユー』(I Will Always Love You)は、聴衆の心を奪う不朽の名曲となり、そのシングルアルバムは史上最高の売り上げを誇っている。
ちなみに、イギリス国内でも10週間にわたりヒットチャート第1位の座に君臨したこの映画主題歌は、1970年代ドリー・パートン(Dolly Parton)によって作詞作曲されたものだという。そして、ホイットニーは自身が持つ、“パワフルで信じられないほど音域の広い歌声”を称して「私の歌声は神が与えてくれた贈り物なの。」というコメントを残している。
しかし、うなぎ上りの仕事の成功に反し、ホイットニーの私生活は波乱万丈! 1992年にニュー・エディション(New Edition)のシンガー、ボビー・ブラウン(Bobby Brown)と結婚するが、それもつかの間、2007年には破局を迎えている。そして離婚2年後のオプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)とのインタビューの中で、ホイットニーは2人の離婚の理由について次のように語っている。
「彼は私の仕事の成功にジェラシーを感じていたの。それは女性が自分より大きな名声を手にして、男性として女性をコントロールできなくになってくると、よくある話だと思うわ。」そして同じインタビューの中で彼女は薬漬けで、互いに精神的に傷つけ合っていた2人の醜い結婚生活についても触れている。ボビーに会うまでのホイットニーは、まさに“非の打ちどころがないアメリカのアイドル”! それゆえ、当時はかなり多くの人たちが2人のつながりに大きな疑問を抱いていたという。
2人の間には1993年に生まれた娘のボビー・クリスティーナ(Bobbi Kristina)がいるが、悲しいかな、その子供の存在でさえ2人の間をつなぎとめる絆にはなり得なかったという。
さらに、ホイットニーの死後、ボビーは2人の結婚生活について次のようにコメントしている。
「2人の結婚生活は混乱の連続だったけれど、でも波乱な毎日の中でも僕たちは“どこか心の奥深くで強い絆で結ばれていたと思うんだ。確かに薬とお酒に溺れる生活の中でお互いを言葉で傷つけ合う毎日だったけれど、でも僕は今でも2人はそれ以上にお互いを愛し合っていたのだと確信しているんだ。
もちろん、結婚生活の中で僕が浮気をしたことは認めるけれど、でも僕たちの離婚はやはり“アルコールと麻薬中毒”が原因だった。僕はホイットニーより先に中毒症状から抜け出すことができたけれど、彼女はそれ以降もずっと自分の命を守るために必死で闘っていたよ。あの当時の僕にはまだ“周りの人たちを守るために自分を救わなければならない”と考える強さが残っていたけれど、残念なことに僕が“本当の自分”を探している間に、2人は疎遠になってしまったんだ。」
さらに、ボビーとの結婚の他にホイットニーと最も親しい関係にあった人物といえば、彼女が17歳のときに出会った親友のロビン・クロフォード(Robyn Crawford)の名が挙げられる。2人は互いに激しく惹かれ合い、肉体関係も結ぶ深い仲となったが、結局は自身の仕事のために彼女との別れを決意したホイットニー! 当時を振り返り、クロフォードは「彼女は、もし一緒になれば2人の間はもっと困難なものになると言っていたわ。」とコメントしている。
しかし、ヒューストン家の悲劇は悲しいかな、ホイットニー1人の死だけに留まらず、母親を失った悲しみから立ち直ることができない、娘のボビー・クリスティーナもまた母の死から3年後に母を追うように、22歳という若さで命を落とすことになる。
ちなみに、ボビー・クリスティーナの死もホイットニー同様、ジョージア(Georgia)の自宅のお風呂場で顔をバスタブにつけた姿で発見されている。そして数か月の昏睡状態の末、最後は大葉性肺炎(Lumbar pneumonia)で亡くなっている。解剖の結果によると、バスタブで発見されたときのボビー・クリスティーナの体内からは母親のときと同様に麻薬が発見されていたという。
ホイットニーがこの世を去ってから10年の歳月が流れようとしているが、彼女のあの力強い美しい歌声は私たちの心の中で永遠に生き続けている。
Words © Rhona Mercer
Photos © Mirrorpix
END.