━━このキャラクター((『TÁR』の主人公)リディア・ター(Lydia Tár))には、どこか不可抗力な魅力が潜んでいるような気がしますが、リディアに夢中になりすぎて、彼女をそのまま家に持ち帰るようなことはありましたか?
私たちはパンデミックの最中にこの映画を撮影していたので、子供たちはずっと家にいました。ですから、リディアを演じている最中も彼女の頭によぎる何かにふと思いを馳せながら、リディアと一体化せず、彼女を1人置き去りにする選択肢しかなかったんです。
トッド(トッド・フィールド(Todd Field)監督)と私は、撮影していないときはリディアについてたくさんの会話をしましたが、なかでも忘れることができないのは、話を進めれば進めるほど、形而上学的、実存的に大きな疑問を投げかける映画の問題を議論した奇妙な夕食のシーンです。あれは私にとって非常に実践的な体験だったと思います。
ある晩、2人で翌日の撮影の準備について話をしていたんだけれど、私はちょうどそのときドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と仕事をしていて、音に合わせて空中で手を動かしながら目を覚ましたことを今でもよく覚えているんです。
━━あなたは『キャロル』(原題:Carol)の中でもレズビアン役を演じていますが、この映画の文脈や背景の中で、リディアのセクシュアリティについて何か特別な意味づけをするべきだとお考えですか?
リディアを演じる中で、特にキャラクターの性別やセクシュアリティについては考えませんでしたし、私がこの映画が好きな理由にはそうした要素も含まれています。私は、そうした問題はただ自然の一部であり、人間の肖像画の1つだと思っています。つまり私たちは既に“種”として十分に成熟しているので、このような映画を紹介するとき、セクシュアリティを見出しや問題にすることはするべきではないと思っているんです。
この映画には数多くの議論を招く場面がありますが、「セクシュアリティの問題」はあくまでも物語における仕掛けの一部であるだけで、それ以上の問題ではないと思います。
さらにこの映画のテーマには、たくさんの起爆剤が含まれています。もったいぶった表現は避けたいと思いますが、この映画は私にとってはるかに体験的で、実存的なものなんです。それに私は共産主義的なプロパガンダには全く関心がありません。むしろ、映画が完成した後、出来上がった作品が政治的な批評を含めて多岐に渡り議論されることの方が自然だと思いますし、出来上がった作品にうんざりしたり、腹を立てたり、触発されたりするのは見る人たちの自由だと思います。
━━この映画はさまざまに異なるレベルで、数多くの問い掛けをしていると思います。しかし、ある意味ではそれはまた“女性の社会的な業績”や、“男性に占領されているともいえる指揮者というポジションをリディアが女性としていかに手に入れたか”というテーマにも繋がっているのではないかと思います。そういった問題はあなたにとって重要な側面だったのでしょうか?
男女に関係なく、女性にも能力があること、そして女性の社会進出の壁を打ち破る必要があることを明確に示すことは、とても重要なことだと思います。リディアは並外れた才能で自身のキャリアを積み、男性優位の家父長制的な世界で活動する女性として足跡を残しました。でも、結局は今まで権力の座にある男性が犯してきた過ちを犯す道をリディアも避けて通ることができなかったわけです。
━━ご自身も女性の手によって育てられたという点で、あなたの中に「フェミニスト」に対するある種の特殊な考えがあったりするのでしょうか?
私はいつも働いているシングルマザーと、強くてエネルギッシュな祖母の下で育ちました。でも、当時は「フェミニスト」には“反家族主義”や“反アメリカ主義”というメッセージが含まれていたので、私の母は「フェミニスト」という言葉を快く受け止めていなかったと思います。
でも、その後成長する過程で「フェミニスト」の間違った概念を理解することができましたし、そうした社会的な通念の変化は素晴らしいことだと思っています。
━━4人のお子さんたち(ダシエル(Dashiell)(20歳)、ローマン(Roman)(18歳)、イグナティウス(Ignatius)(14歳)、養女イーディス(Edith)(5歳))を育てる多忙な日々の中で、公の仕事の場でも成功を収められているわけですが、ご自身がリラックスできる時間についてお話していただけますか?
私にとって唯一リラックスできる時間は1人でトイレに閉じこもっているときです(笑)。きっとほとんどの人たちと同様、“子育て、仕事、個人的な願望の”間に調和の取れたバランスがあるわけではありません。人生はいつも不条理で、生きるということは混乱の連続でもあります。私にとって子供を持つ素晴らしさは、唯一「自分自身に謙虚でいる大切さを教えられている。」ということなのかもしれません。
━━キャリアスタートの段階で、始める前から仕事の道を諦めそうになったというのは本当ですか?
演劇学校を卒業したとき、自分の中に“拒絶や反論”への対処能力や回復能力がない自分がいると判断し、自分自身に5年間という猶予期間を与えようと思ったんです。当時はまさか自分が映画の仕事に関わるとは思ってもいなかったので、今こうしてこのメディア業界で仕事をしていることに自分でも驚き、それと同時に現在手にしている幸運に心から感謝しています。
映画の仕事に従事するようになったのはかなり遅く、私が最初の役柄を手にしたのは25歳の時でした。でも、当時の私の頭の中には35歳になったら女優としての活躍の場はないという漠然とした考えがあって、この業界に長く留まるつもりはなく、女優としての仕事を続けるのもあと5年間という漠然とした期限を自分に設けていたんです。
でも現在の状況は確実に変わっています。それは、例外なく女性が力を握り、自分たちの力で自分たちの居場所を作ったからだと思います。
━━ リディアを演じる中で、彼女の矛盾を理解し、受け入れることを通してあなた自身の矛盾について改めて考えさせられたようなことはありますか?
私はまだ真の自分探しをしている段階で、今は人生の変化に対応しながら進化しようとする過程の中にいると思っています。これから先、自分が1人の人間としていかに成長していくかは、あくまでも自分次第ではないでしょうか?
上記のケイト・ブランシェットのインタビューは、現地時間2022年9月2日に開催されたヴェネツィア映画祭『TÁR』のワールドプレミアでブランシェットが残したコメントで、その内容は一部編集されています。
Interview © Jan Janssen / Wenn
Photos © WENN.com
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