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 マイケルの求めた交友

  2009.07.14

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1958年生まれのマイケルは、彼の兄弟、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン達と共に6歳で初舞台に立ち、1968年には、ソウルミュージックで世界的に有名なモータウンと契約を交わし、その4年後、最初のソロアルバム「God To Be There」をリリースした。
(彼が生涯で発表したソロアルバムは全部で10枚。)

かつてマイケルは作曲について、「世界中で一番簡単な作業だと思うよ。僕の中で、神が与えてくれた調和の世界の中で、弦、バス、鍵盤、全てが自然に音を奏で始めるんだ。」と語っている。

さらに彼は、歌手としての才能をも持って生まれて来たらしい。
「僕は歌うことが大好きで、舞台の上に立っている時が1番心地良いんだ。5歳の時に学校のリサイタルで、白いシャツと半ズボン姿で初めてステージに上がって、「クライム・エブリ・マウンテン」を歌ったんだけど、その時に拍手喝采を浴びたんだ。歌い終わって席に戻ると祖父と祖母が「あなたがあんなに美しい声で歌えるなんて信じられない」って、感動で涙を流しながら言ってくれたんだ。」
と、マイケルは自分自身の幼い頃の経験を語っている。

ソウルフルな美しい調べと高いピッチの叫ぶような声で知られるマイケルの歌に加え、もう一つのトレードマークとなった「ムーンウォーク」は、ライブ番組に出演中に歌った「ビリー・ジーン」で初めて披露された。「僕はリズムのとりこで、その瞬間を感覚でとらえるんだ。頭で考えているとその感覚は逃げて行ってしまう。歌は、考えて唄うものでは無くて、心で歌うものなんだ。」と言うマイケルの言葉は、ジャスティン・ティンバレークを今でも心酔させている。


マイケルは、まるでそれが当たり前のように、フランク・シナトラをはじめとするハリウッドのビッグスター達の間で育つ。
「シナトラが、僕たちがバスケットボールをしている姿をいつも見ていたよ。」と思い出話をしてくれた。
「亡くなる前のフレッド・アステアにも会い、一世代前の先輩達から数多くの事を学んだよ。ラスベガスではエルビス・プレスリーや、サミー・デイビス・ジュニアが、僕と義理の兄に“ドラッグ(薬)は絶対にやってはいけないぞ。”と忠告してくれた言葉を僕は決して忘れないよ。」

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大人になってからの彼の生活は、周りを囲むエリザベス・テイラー、ダイアナ・ロス、ライザ・ミネリ、そして、チンパンジーのバブルスなどの友達に傾倒し、およそ“普通”とは程遠い生活を送るようになる。
かつてマイケルはエリザベスについて、「僕たちは多分、同じ星から来ているんだと思うんだ。そこは、“カプリシアス・アノマリー”と呼ばれていて、僕たちの太陽系とはかけ離れた“水域”にあるらしい。僕もエリザベスも、2人ともきっとそこから来ているんだと思うよ。」と語っていた事があるほどの傾倒ぶり。
そしてそれは、彼と交友関係にあるハリウッドの有名スター達にとどまらず、素人参加番組「ビッグ・ブラザー」で世間を賑わせたジェイド・グッディの話を同番組に出演していた兄ジャーメインから聞いていたマイケルは、彼女が苦境に陥った際も、すぐに電話で励ましのメッセージを送っている。
そのほか、病院や孤児院を訪問し沢山のおもちゃを寄付したりと、有り余るほどの慈善活動も行っていた…。







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