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 マイケル・父としての言葉の背景(7/15付Exclusive)

  2009.07.15

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1997年、OK!は他の取材陣との激戦の中、数ヶ月間に渡る交渉の末、遂にマイケル・ジャクソンの初の子供"プリンス・マイケル・ジュニア"の世界独占写真取材に成功した。上は、その際のOK!の表紙である。
OK!取材陣がロサンゼルスに到着すると、マイケルはセキュリティーの為、ニューヨークへ撮影場所の変更を要求。取材陣は何とかその締切に間に合わせるべく、急遽ニューヨークへと飛ぶなど、様々な障害を乗り越えて実現したスクープだった。


時に、マイケルはこの独占取材の際、
「マイケル・ジュニアは、沢山の愛と、そして家族に囲まれて育って欲しい。」と語った。

マイケルが口にしたこの言葉の背景にはどうやら、
彼の平凡とは言えなかった人生が、少なからず影響しているようである   

困難な子供時代と複雑な生い立ちのスター

64946694-210.jpgマイケル・ジャクソンは、1958年8月29日、インディアナ州、ギャリーにおいて、ブルーカラー(労働者階級)の家庭に生まれる。このころ、時を同じくして、ポップス界での殿堂、"プリンス"と"マドンナ"が生まれている。
マイケルが、変わらぬ象徴としてポップス界に君臨するであろう糸口が、このあたりにも見られる。
しかし、物事は表面的な事だけではわからない事が山ほどある。ジョセフとキャサリン・ジャクソン夫妻が生んだ9人の子供達は、どうやら才能あふれる兄弟姉妹だったらしい。
その中でもマイケルの才能は際立っており、既に幼い頃からスターとしての輝きを放っていた。マイケルと彼の兄弟達 - リビー、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、ラトーヤ、マーロン、ブランドン(誕生と同時に死亡)、ランディー、そしてジャネットは、2つの寝室しか無い小さな家で育つ。(後にマイケルの偉大な功績を讃え、この家が建っていた通りはジャクソン・ブルバードと名付けられた)
剛腕な鉄鋼労働者の父ジョーは幼いマイケルを含む兄弟達のダンスと歌のコーチをし、コーラスグループとして育てるが、その当時からマイケルの歌と踊りの才能が特に秀でたものである事は、誰の目にも明らかであった。そしてマイケルは6歳からクラブや劇場で歌とダンスを披露し、一家の家計を助けるようになる。




06727376-210.jpgソロ歌手としての訓練を重ねるうちにマイケルの名は瞬く間に世界中に知れ渡るようになり、それにつれて彼の情緒不安定な側面が浮かび上がってくるようになる。「スリラー」のジャケット写真が、マイケルが黒人歌手として登場する最後。
また、ロマンスに対する感情は深く眠ったままの状態で、その歌声や表現にはどこか無機質さを感じさせるもがあった。
強いてあげるとするならば、はっきりとした根拠はないものの、20代の頃にブルック・シールズとデートを重ねていたという噂がある程度。
しかし1994年、マイケルはエルビス・プレスリーの娘リサ・マリーと結婚する。後に離婚する事になるリサは、当時の気持ちをこのように語る。
「私はまだ若くて、何が自分にとって良い道なのかを模索している最中だったの。無名な私と結婚する事によって、突然ミスター・プレスリーとなるような人を選ぶべきか、それとも、既に世間に名が知れている人で、私自身と同じような立場の男性と一緒になるべきか、いろいろと迷っていた時期だったわ。
私は彼を愛していたし、同じような立場の中でお互いを理解し合えるんじゃないかと期待していたんだと思う。」




06936710-210-2.jpg結局2人の結婚生活は2年続いたが、その後、マイケルは通っていた皮膚科病院の看護婦デビー・ロウと1996年に再婚。
彼女との間に2児 (息子プリンス・マイケルと娘パリス)を設けるものの、2人は1999年に離婚。
後にデビーは「マイケルと私はいつでも理解し合える関係だったけど、有名人の妻として生きるプレッシャーに耐えられなくて、ただ普通の生活に戻って自分らしく生きたいと思ったのが離婚の大きな原因だと思うわ。」と語る。
その他に彼は、代理母から生まれたプリンス・マイケル2世を残している。




08899797-210.jpg様々な困難が襲い続けた人生だったが、その中、彼が生涯一貫して守り続けたのが、マイケルの8人の兄弟姉妹に対する「愛と献身」であった。
彼の兄ジャーメインは2003年のインタビューで次のように語っている。
「僕たち家族、特にマイケルは、世界の名声を得る為にこれほどの高い代償を払わなければならない事を知っていたなら、子供の頃に Jackson-5 としてデビューしたりはしていなかったと思う。たとえそれがどんなに貧しい生活でも、2つの寝室とガレージがあるインディアナ州のギャリーで、普通の生活していた方がずっと幸せだっただろうと、今でも思っているよ。」


しかしそんなジャーメインの言葉とは裏腹に、マイケル・ジャクソンが残した音楽は私達に歌を聴く喜びを与えてくれた。 そしてこれからも、永遠に私達の心に残るだろう。








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