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現地時間1993年4月1日、オーストリアのレッヒ(Lech)でウィリアム皇太子(写真左)とヘンリー王子(写真右)と一緒に休日を楽しむダイアナ妃(写真中央)。

OK! 独占インタビュー☆ケン・ウォーフ:「全く異なる人生を送ることを切望していたダイアナ妃!」Vol.2

故ダイアナ妃の元ボディーガード、ケン・ウォーフが明かす「永久に語り継がれるダイアナ妃のレガシーと切に望んだ普通の生活」

━━ハリー(ヘンリー王子の愛称)(サセックス公爵ヘンリー王子:Prince Henry, Duke of Sussex)がイギリスを離れる決断をしたことについて、あなたはどう思いましたか?

セント・ジョージ礼拝堂での彼の結婚式は、私たち皆が望んでいた変化の始まりでした。もし2人の結婚がうまくいかないと思ったら、王室が2人の結婚を認めることはなかったでしょう。しかし、ここから事態の歯車が何となくかみ合わなくなってしまった原因は、話を元に戻すようですが、ダイアナ妃(ウェールズ公妃ダイアナ:Diana, Princess of Wales)同様にハリーの人気によるものではなかったかと私は思っています。

ハリーはどういうわけか、「私たちはこれまで部外者として見られ、これまで扱われてきた方法が気に入らない」という発言をしてしまいました。彼は、母親に起こった悲劇がメーガン妃(サセックス公爵夫人メーガン(Meghan, Duchess of Sussex))にも及ぶことを恐れて王室を離脱したいと言ったわけです。でも、私はダイアナ妃の直接的な死の原因がマスコミにあるとは思っていませんし、ハリーの言い分には賛成できないので、正直言って非常に混乱しています。「ハリーはイギリスへ戻ってくるのか、その場合はメーガン妃と一緒に戻ってくるのか?」と尋ねられることがよくありますが、「きっと何らかの新しい形で戻ってくるでしょう。」というのが私の個人的な見解です。

━━あなたの本の中で、あなたはハリーが「ダイアナ妃のように信頼されることを望んでいる。」と言っていますが、それはどういう意味ですか?

彼は自分がジョーカー(道化師)として見られていると感じているので、周囲の人たちから真剣に受け止めてもらいたいという欲求があるのだと思います。彼は母親に似て非常に触覚的な人で、王室を去ったにもかかわらずまだ王室の一員の1人として果たすべき役割があるということを人々に認めてもらいたいのです。

━━ダイアナ妃はもっと普通の生活を送りたいという彼女の願望についてあなたに打ち明けたことがあるのでしょうか?

はい。2人の結婚生活が、取り返しがつかないほど破綻してしまったことに気付いたときも彼女と話をしましたが、ダイアナ妃は「すべてがうまく収まって、まったく異なる新しい人生を送る方法を見つけることができたらよいのに。」と言っていましたが、それと同時にそれが難しいことであることを知っていました。ダイアナ個人に戻り、プリンセス・オブ・ウェールズの立場を全て放棄することはできません。

でも、1993年11月、私がダイアナ妃に会いに行ったときは彼女が本当にすべてを放棄するとは思っていなかったので、私たちはかつての楽しかった時間に思いを馳せながら、楽しく語り合ったことを今でも覚えています。ダイアナ妃に仕えて過ごした7年間は私にとって“並外れた人生の旅”だったと言えます。

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現地時間2007年8月30日、10 年前に亡くなった故ダイアナ妃に敬意を表するためにロンドンのケンジントン宮殿(Kensington Palace)に多くの人が集まった。ケンジントン宮殿でダイアナ妃の元ボディー ガードとしてアメリカのテレビのインタビューを受けるケン・ウォーフ(Ken Wharf)。

━━あなたが最初にダイアナ妃に会ったとき、彼女はどのような人だったのでしょうか?

私は王室の一員に会うということで非常に緊張していましたが、ダイアナ妃はその私の緊張をまったく覆してくれました。ノーフォーク(Norfolk)のサンドリンガム・ハウス(Sandringham House)で彼女に会ったときは、ウィリアム(ウィリアム皇太子:ウェールズ公ウィリアム(William, the Prince of Wales)とハリーも一緒にいて、ウィリアムはピアノを弾き、ハリーが“虫遊び”を楽しんでいました。

今でも忘れはしませんが、そこで彼女は私にこう言ったんです。「ケン、私の子供たちの世話をするなんて本気で言っているの? だって彼らは本当に“厄介者”なんだから!」私はその答えにダイアナ妃の平凡な一面を感じました。彼女の気さくでオープンな性格は私の期待を裏切らなかったわけです。それはまさに彼女が持ち合わせる人心を惹きつける魔法であり、人々を引き寄せる魅力ではなかったかと思います。

━━チャールズ皇太子(インタビュー当時)(現在のイギリス国王チャールズ3世(Charles III))との関係についてはいかがでしたか?

公の場では、彼らは信じられないほど“ピッタリした相性”を披露していました。私がここで見た悲劇は“2人は世界中を魅了するカップルであったにも関わらず、私生活に戻るとぶつかり合いを続ける仲だった”ことです。彼はどこに行っても人気をさらうダイアナ妃に他の王室メンバー同様、嫉妬していました。そしてその事実を事実として受け入れることは、チャールズ皇太子(イギリス国王チャールズ3世)や他の王室メンバーにとって非常に難しいことだったのではないかと思います。

━━彼らの子育て様式はどのように違っていたのでしょうか?

80年代半ばからは、2人揃って子供たちと一緒にいる機会はめったにありませんでした。そして、ダイアナ妃は私を含めて警官やシェフたち皆をウィリアムとハリーの遊び仲間にしていました。でも、チャールズ皇太子(イギリス国王チャールズ3世)が周りにいたときは、もう少し王室的で、彼はダイアナ妃ほど現実に近づこうとしませんでした。

でもダイアナ妃はいつも普通の生活がしたいと言い、彼女が子供たちと一緒にやりたかったことと言えば、普通の人たちが普通にやっている朝の寝坊、学校の友人たちとの交わり、映画館へ行くこと、ロンドン地下鉄に乗ること、スティッキーフィンガーズレストランで食事を楽しむこと、マークス&スペンサー(Marks & Spencer)で買い物をすることなどを含め、現実の生活の世界に近づける方法で子供たちを教育することでした。でも、チャールズ皇太子(イギリス国王チャールズ3世)はそれを理解できませんでした。彼女はいつも普通になりたいと嘆いていました。

━━ダイアナ妃の息子たちの育て方は、ウィリアムやハリーの子育てに影響を与えていると思いますか? そして、それがウィリアムがミドルトン(Middleton)の生活様式を受け入れた理由の1つだと思いますか?

ウィリアムはきっと王族という立場や枠から外れて妻や家族と共に過ごす時間や生活の恩恵に早くから気付いていたのでしょう。ウィリアム自身、そしてそれ以上に子供たちの養育にとって、それは信じられないほどのプラスではなかったかと思います。

Words © Rowan Erlam
Photos © Mirrorpix

Vol.3へ続く・・・。

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