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現地時間1981年7月29日、ロンドンのセント・ポール大聖堂(St Paul's Cathedral)で行われた、当時のチャールズ皇太子(現在のイギリス国王チャールズ3世(Charles III))とダイアナ妃の結婚式。写真左から: 9月8日に崩御したエリザベス女王(エリザベス2世:Elizabeth the Second))、チャールズ皇太子、ダイアナ妃、エディンバラ公爵(エディンバラ公爵フィリップ王配(Prince Philip, Duke of Edinburgh))がバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)のバルコニーに出てきた様子の一枚。

OK! 独占インタビュー☆ケン・ウォーフ:「全く異なる人生を送ることを切望していたダイアナ妃!」Vol.1

故ダイアナ妃の元ボディーガード、ケン・ウォーフが明かす「永久に語り継がれるダイアナ妃のレガシーと切に望んだ普通の生活」

ダイアナ妃(ウェールズ公妃ダイアナ:Diana, Princess of Wales)の死から既に25年という歳月が流れる今なお、世界中の人たちがダイアナ妃を忘れることなく、魅了され続けている。

現地時間1997年8月31日、パリ、アルマ橋(Pont de L‘Alma)で起きた、致命的な自動車事故から25年を迎えた今、シャイな1人の少女が美しく自信溢れる女性へと成長する過程を見ながら育ってきた人たちは、いまだに彼女の存在を忘れることなく、その死を悼んでいる。

ジャーナリスト、ロス・カワード(Ros Coward)との共著「ダイアナ:リメンバリング・ザ・プリンセス(Diana: Remembering The Princess)」の中で、今は亡きダイアナ妃と共有した日々を振り返り、OK! 独占インタビューを通してその「並外れた旅」の思い出を語る、元ボディーガード、ケン・ウォーフ(Ken Wharf)! そのケンいわく「ダイアナ妃を知らなかった若い世代は、『亡くなってから既に25年の歳月が流れた今なお、語り継がれるこの女性の魅力とは何なのだろう?』と思っていることでしょう。」

そして、ケンほどその質問に答えるのにふさわしい人はいない。

彼がプリンセスに初めて出会ったのは、1986年、ウィリアム(ウィリアム皇太子:ウェールズ公ウィリアム(William, the Prince of Wales)とハリー(ヘンリー王子の愛称)(サセックス公爵ヘンリー王子:Prince Henry, Duke of Sussex)の2人の息子のボディーガードになったときで、その2年後、ダイアナ妃の個人保護官となったケンは彼女と強い友情で結ばれ、5年間という歳月を彼女のそばで働き続けた。その後1993年、彼はその職を辞任することを決意し、最終的には2002年、王立保護隊という職務から引退している。

その結果当然のごとく、プリンセスの性格、当時のチャールズ皇太子(現在のイギリス国王チャールズ3世(Charles III))との結婚が破綻に導かれた真の理由、そしてかつてはとても親しい仲にありながら、現在は諍いを繰り広げている彼女の2人の息子の関係について、信じられないほどの洞察力を持っているケン!

実際、彼がOK! に明かすように、もしダイアナ妃がまだ生存していたら、彼女の最愛の息子2人、ウィリアムとハリーの間の諍いは決して起こらなかっただろうとケンはOK! に明かしている。

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現地時間1991年7月1日、自身の30 歳の誕生日にロンドンのサヴォイ・ホテル(The Savoy Hotel)に到着したダイアナ妃(写真中央)とボディー ガードとしてダイアナ妃の後ろに立つケン(写真左)。

━━こんにちは、ケン、ダイアナ妃の没後から25年、私たちは今ここにダイアナ妃が生きていたら、一体何をしていたのであろうと考えずにはいられません。

きっと彼女は2人の息子たちを再会させ、もつれた糸をほぐす素晴らしい仲介人としての役割を果たしていたのではなかったかと思います。そして彼女が生きていたらきっと、2人の兄弟の関係はここまで悪化してはいなかったと思います。特にハリーとメーガン妃(サセックス公爵夫人メーガン:Meghan, Duchess of Sussex)の関係、そして2人の息子たちの兄弟関係に大きな影響を与えていたに違いありません。ダイアナ妃はハリーの立ち位置を理解した上で、メーガン妃とキャサリン皇太子妃(ウェールズ公妃キャサリン(Catherine, Princess of Wales)を含めた2人の関係を祝福し、誇りに思っていたことでしょう。

━━もし今ダイアナ妃がここにいて、ハリーの立場を守るために戦っていたとしたら、彼がアメリカに渡ることはなかったと思いますか?

彼女はもしかすると、このように言っていたかもしれませんね。「まあ、それがあなたが望む道なら仕方がないわね。でも、今は何よりもまず、どうするかについて一緒に考えてみましょう。」

ハリーに欠けていたのは真の家族の味方だったと思います。私の目から見ても彼の行動はかなり衝動的で、決断を下す前に的確なアドバイスが必要だったのではないかと思っています。ダイアナ妃は王室内の状況を理解していたので、ハリーにとって彼女の助言は大きな意味と価値があったはずです。しかし彼女はそれと同時に、国を立ち去ることは当時最善の決定ではなかったかもしれないということに気付いていたはずです。彼が欲しかったのは、完全に信頼できる人だった! そういう意味でもダイアナ妃は彼の母親であると同時に彼の親友でもあったのでしょう。自分の心の拠り所である母親の助言と愛を受けることができなかったことがハリーには致命的な問題だったのではないかと思います。

ハリーはおそらくウィリアムよりも母親と精神的な繋がりが強く、母親の死に関しても、ウィリアム以上に母親の死を悼み、苦しんでいたようです。

━━その根底にあるものは、何なのでしょうか?

ダイアナ妃の葬儀の日を振り返ってみると、あの当時ハリーは若干13歳でした。彼はおそらく、兄、父親、叔父、エディンバラ公爵(エディンバラ公爵フィリップ王配(Prince Philip, Duke of Edinburgh))と一緒に最後の1マイルを歩くようにと言われたでしょう。そのトラウマ的な経験がその後のハリーの人生にどのような、そしてどの程度の心理的影響を与えたのか、その答えは私たちには計り知れないものがあるのではないでしょうか。

ハリーは子供の頃からいつも面白いことを言って人を笑わせることが上手で、彼の気さくで陽気な性格は大衆の皆から好感を持たれ、常に王室の人気者でした。決してどちらがどうと言って兄弟を比較するわけではありませんが、ウィリアムはある意味でハリーの人気に嫉妬していたのではないかと思います。でも、そうしたことはどんな家庭にでも起こり得る普通なことだと思います。

Words © Rowan Erlam
Photos © Mirrorpix

Vol.2へ続く・・・。

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