現地時間9月8日木曜日に、96歳で亡くなられたエリザベス女王(エリザベス2世:Elizabeth the Second)は、70年214日という驚異的な期間王座に就き、英国で最も長く君臨した君主である。
「スコットランドにある王室の邸宅、バルモラル城(Balmoral Castle)で家族に囲まれ安らかに息を引き取られた。」という女王の死の知らせが発表されたのは午後6時30分のことで、それはリズ・トラス(Liz Truss)がイギリスの新首相に選出されたという発表の2時間後の出来事であった。
その後の正式発表では、「(現)チャールズ国王(チャールズ3世(Charles III))と(現)王妃は今夜バルモラル城に残り、明日ロンドンに戻る。」というメッセージが伝えられている。
チャールズ3世と妹のアン王女(プリンセス・ロイヤル・アン(Anne, Princess Roya))は、女王が息を引き取る瞬間まで枕もとに付き添ったが、女王の孫、(現)ウィリアム皇太子(ウェールズ公ウィリアム(William, the Prince of Wales))、息子のアンドルー王子(ヨーク公爵アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York))、エドワード王子(ウェセックス伯爵エドワード王子(Prince Edward, Earl of Wessex))、エドワード王子の妻ソフィー(ウェセックス伯爵夫人ソフィー(Sophie, Countess of Wessex))がバルモラル城に到着したのは女王が亡くなった直後であったという。
また、サセックス公爵(Duke of Sussex)は祖母の死が公式に発表されてから約1時間後に到着、ハリー王子(サセックス公爵ヘンリー王子(Prince Henry, Duke of Sussex))の妻、メーガン妃(サセックス公爵夫人メーガン:Meghan, Duchess of Sussex)はロンドンに残り、(現)キャサリン皇太子妃(ウェールズ公妃キャサリン(Catherine, Princess of Wales)は、3人の子供たちが新しい学校に入学したばかりだったため、ウィンザー城にとどまっている。
女王の死の直後から生前の女王陛下を賞賛するメッセージが殺到したが、その内の1つは新しく首相となったリズ・トラス新首相からのもので、彼女は女王陛下を「英国を築いた岩のような存在」、「英国の精神そのもの」と表現し、女王の偉大な功績を称えている。
また、新しく国王となったチャールズ国王も、亡くなった女王に対する賛辞と共に「母親の死は自分にとって語り尽くせない最大の悲しみであり、女王を失ったことはイギリス国内にとどまらず、英国連邦諸国や世界中の数多くの人たちにとっても大きな損失であります。」と追悼の辞を述べた。
あいにく当日は雨模様の天候であったにも関わらず「何千人もの人々がバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)に集まり、亡くなった女王への敬意を表している。
また、過去2年間女王がその大半の日々を過ごしたバークシャー(Berkshire)の邸宅、ウィンザー城(Windsor Castle)にも多くの人たちが集まり、女王の死を悼んだ。
さらに、数百人ものロンドンのタクシードライバーが自らが運転するブラックキャブを静かにモールに並べて立ち尽くし、賛辞と追悼の意を捧げている。暗闇の中で静かに輝くタクシーのライトは、昨年亡くなったエディンバラ公爵(エディンバラ公爵フィリップ王配(Prince Philip, Duke of Edinburgh))への感動的な追悼の儀式を思い起こさせるものがあった。
そして、英国を象徴する「ユニオンジャック」が半旗を下した瞬間、見事な虹がバッキンガム宮殿とウィンザー城の上に現れ、神がかりとも言えるような感動的なシーンを見せてくれた。
木曜日の女王の死は、ボリス・ジョンソン(Boris Johnson)から新しく選ばれたリズ・トラスへの政権交代の2日後のことであり、新しく選任された保守党指導者リズ・トラス新首相をバルモラル城に招待し、応接室で優しいほほ笑みを称えながら新首相に挨拶する女王の姿が披露されている。
しかし、死の前日の水曜日、医師の勧めでその夜開催が予定されていた「枢密院会議」はキャンセルされ、その翌日の木曜日にはバッキンガム宮殿から「女王の容態に対する懸念」が発表されて、国民をはじめ周囲の皆は女王を失うのではないかという恐怖と共に、その心配の度合いは極限に達していた。
短期的ではあるが、主に歩行困難という症状を抱えていた女王。しかし、最後の瞬間まで自身の任務を全うし続けた女王の生涯はまさに“献身”以外の何物でもない。
1947年4月21日、両親と共に南アフリカを訪問した際、現地で21歳の誕生日を迎えた当時のエリザベス王女は、自らの身をイギリス国民及び、連邦諸国に捧げることを決意し、その決意のメッセージはケープタウンからラジオ放送を通して次のように伝えられている。
「これから先の私の人生が長かろうと短かろうと、私は今ここで皆の前で、私の全人生をあなた方及び、偉大なる王室への奉仕に捧げることを誓い、宣言します。しかし、この決意は決して私1人で果たせるものではなく、神のご加護と皆様方の理解と支援が必要です。神が皆様方を祝福してくださいますように!」そして、その宣言を全うした女王の生涯はまさに「献身」以外の何物でもなかったと言える。
その当時、エリザベス女王自身は“自分が歴史上、最も愛される君主の1人として70年もの治世を全うする”とは思ってもいなかったであろうが、“王女の献身への誓いの声明”が、世界中でラジオ放送に耳を傾けていた何百万人もの人たちの琴線に触れたことは言うまでもない。
そしてロンドンに戻ったエリザベス王女を迎えた当時の首相、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は“王女の尊厳に満ちた”優雅な姿に驚嘆し、思わず涙したという逸話が残っている。
ヨーク公エリザベス・アレクサンドラ・メアリー(York Elizabeth Alexandra Mary of Windsor)王女は、生まれながらに女王となる宿命を背負っていたわけではない。1936年のエドワード8世(Edward VIII)の退位に端を発し、エドワード8世の弟で自身の父親、ジョージ 6 世(George VI)が王位についたことで“リリベット”の愛称を持つ幼い少女の運命は大きく変わり、チャーチルの涙はきっとその歴史的な経緯を知ることにも由来していたのであろう。
そして、1952年「王女」としての重責が若きエリザベスの両肩にかかって以来、エリザベス女王は在位する5年前に行われたケープタウン(Cape Town)ので宣言に従い、「神から与えられた誓い」を携え、その貢献の人生に耐え抜いてきたと言える。
Words © OK! Magazine / Leo Roberts, Rachael Bletchley
Photos © Mirrorpix
後編へ続く・・・。