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 地震の後、子供達が家族を探すのを手伝っていたテイラー・アンダーソンを襲った津波

  2011.04.05

Taylor AndersonTop.jpg

 

↑ 現在(4月5日現在)、全米で発売しているOK! USAは、東日本大震災についての関連NEWSを掲載しています。

写真:石巻市で生徒の一人と写真に写るテイラー・アンダーソン。

 

 

OK! USAが全米に伝えた東日本大震災NEWS

 

 

 

夢を持ち続けてこの世に別れを告げたテイラー・アンダーソン

 

地震の後、子供達が家族を探すのを手伝っていた

テイラー・アンダーソンを襲った津波

 

バージニアで育った幼少時代からいつも極東への憧れを抱いていたと言うテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)!

 


そして、彼女は小学校6年生の頃から日本語を勉強し、その後バージニア州、アシュランド(Ashland)にあるランドルフ・メイコン(Randolph Macon)大学へ進学したテイラーは、日本を紹介する本を読んだり写真展を訪れたりし、時には姉の大学寮へ日本料理を勉強しに行く企画を立てたりしてアジア研究を専攻する数少ない生徒として大学生活を送っていた。
そして、2008年に大学を卒業すると同時に子供達の英語教育に携わる為に日本へと向かったテイラー。そうした彼女の今までの人生について大学の総長や大学時代の彼女の同僚達は「自分の長年の夢が叶い、きっとこれ以上幸せな人生は無かったのではないかと思う。」と語っている。

 

そして大地震が起こった運命の3月11日、テイラー(24歳)は、宮城県石巻市(人口約164,000人)の小学校で英語の教師として子供達に英語を教えていた。

 

 

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いつも子供達の為に一所懸命だったテイラー

 

彼女は、地震の後に学校へ駆けつけて来た両親に子供達を引き渡す事が出来るまで恐怖心で一杯の子供達をなだめていたと言う。「そうした彼女の生徒達、ひいては共に生活を分かち合う日本の人達への対応が常日頃変わらぬ彼女の献身的な行為を物語っていると思う。」と、バージニア州知事のボブ・マクドネル(Bob McDonnell)氏は、亡くなったテイラーの生前の行為を称えるコメントを発表している。


そして地震の後、自転車に乗って家路へと向かうテイラーの姿を最後に、その後間もなく約6m以上の大津波が街中の家や建物全てをのみこみ、石巻市は街全体が壊滅状態となってしまった。

 

 

その後数日間消息不明となっていた彼女の遺体が見つかったと言う知らせが駐日アメリカ大使館より両親の下へ届いのは地震から10日後の3月21日の事だった。その知らせに悲しみを押し殺しながらテイラーの両親、アンディーとジーン・アンダーソン(Andy and Jean Anderson)は「娘の無事を祈り続け、この危機の中で尽力を尽くして下さった皆様方に心から感謝を述べたい。そして、これから先もまだ消息不明な数多くの人達の無事と、甚大な被害を被った日本の人達の為に祈り続けて欲しい。」と言うステートメントを発表した。ちなみにテイラーには、2人の妹がいると言う。

バージニアに住む数多くの友人達は、テイラーの突然の死にショックと深い悲しみ隠し切れない様子で、「テイラーの死の知らせを聞いて、これ以上の悲しみは無く、深く追悼の意を表したい。」と述べる彼女の高校、セント・キャサリンズ・スクール(St. Catherine’sSchool)の教師。

 

又、同じくセント・キャサリンズ・スクールの教師であり、テイラーのアドバイザーだったデレク・カネメヤ—(Derek Kannemeyer)は、彼女の性格について次の様に述べている。「テイラーは、素朴で親しみ易く、いつも笑顔を忘れない、そして活発で心優しい女性だった。強い信念を持って自分の道を歩み、新しい発見を求めて世界へ羽ばたく志と、どこへ行っても常に他人を思いやる優しさと献身の心を忘れない彼女の行為こそ、私達教師が常に生徒達に望む理想の姿である。」

 

そして彼女の妹、ジャルズ・アンダーソン(Julz Anderson)は、亡くなった姉について「テイラーは、本当心優しい女性でした。生前の他人を助けようとする彼女の行いが彼女の“人と也”を物語っているのではないかと思います。」と述べている。

 









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