ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)はコルセットとターバンを用いた、挑発的でエッジの効いた“新しい旋風”をファッション界に呼び起こした、業界の異端児と呼ばれる女性である。
1970年代、デザイナーとしてその名を知られるようになったデイム・ヴィヴィアン・ウエストウッド(Dame Vivienne Westwood, DBE)は、1980年代にはその大胆なファッションと共にそれに即した言動で一世を風靡し、80歳という節目の歳を迎えた今でも、その独特のスタイルは一向に変わりを見せていない。
ちなみにデイムとは、“さまざまな分野で大きな功績を残して大英勲章第一位及び、第二位を授与された女性に対する尊称”である。
1941年4月8日、ダービーシャー(Derbyshire:英国東ミッドランド地方)で労働者階級の家庭に生まれた赤毛のデザイナー、ヴィヴィアンは、17歳を迎えた年にミドルセックス(County Middlesex)に移り、ウエストミンスター大学で“宝石デザイン”を学んでいる。
しかし、わずか1学期の受講を終えた後に大学を去ったという彼女は当時の状況を振り返り次のように語っている。
「私のような労働者階級出身の若い女の子が美術の世界で食べていけるとは思えなかったの。」
そして、その後教師の資格を手にした彼女は小学校教師として働き始めている。
しかし、ファッションへの強い思いは褪せることなく、教師として仕事を続ける傍ら宝石デザインの仕事も続け、ロンドン市内のポートベローマーケット(Portobello Market:ノッティング・ヒル(Notting Hill)のポートベローロードで毎週日曜日に開催されるマーケット)で、自身がデザインしたアクセサリーを販売していたという。
私生活では1962年最初の夫となるデレク・ウエストウッド(Derek Westwood)と結婚し、その1年後に息子のベンジャミン(Benjamin)を設けているヴィヴィアンだが、その後、彼女のファッション人生に大きな変化を呼び起こす仕掛けをつくることになるマルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)との出会いをきっかけに1965年には最初の結婚生活に終止符を打つことになる。
2人はその後クラッパム(Clapham)にある公営住宅に移り住み、1967年にはマルコムとの間に息子のジョセフ(Joseph)の誕生を迎えている。
その後、ドレスのデザインを手掛けることになったヴィヴィアンは、マルコムと共にキングスロード(King’s Road)に最初にオープンしたブティックをその後“SEX”という名に変更している。
ちなみに、マルコムはその後セックス・ピストルズ(Sex Pistols)のマネージャーを務めている。1970年代の初期、そのブティックで販売していたヴィヴィアンデザインのドレスをバンドが身に着けて演奏したことにより、彼女の作品はパンク(punk)ファッションの主流として紹介されることになる。
そして、ヴィヴィアンはその頃の自分について次のようなコメントを残している。
「その当時、現存の組織に一石を投じる方法を模索していた私にとって、パンクはまさに社会革新の救世主のような存在だったわ。」
Words © Georgia Trevitt
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後編へ続く・・・。