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ロイヤルウェディングの席にいるべき、新郎の母、今は亡き、ダイアナ妃に想いを込めて!(後編)
「もし母が生きていたら、母とメーガンはきっと意気投合」と語っていたヘンリー王子。

news 2018.06.05

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現地時間1995年5月8日、ロンドンのハイド・パーク(Hyde Park)で開催されたVE記念式典に出席した、(写真左から)ウィリアム王子、故ダイアナ妃、ヘンリー王子。


フランセスと第8代スペンサー伯爵ジョン(Frances and John, 8th Earl Spencer)の三女としてノーフォークのサンドリンガム(Sandringham, Norfolk)に生まれた、レディー・ダイアナ・フランセス・スペンサー(Lady Diana Frances Spencer)(故ダイアナ妃:Diana, Princess of Wales)は、辛酸な両親の離婚後、弟のチャールス(Charles)と共に父の下で幼少期を過ごす事になる。

寄宿学校を中退し、上流階級の子女が学ぶスイスのフィニッシング・スクールを卒業したダイアナはその後ナイツブリッジ(Knightsbridge)にある保育園に勤める事になる。
1970年後半、チャールズ皇太子(Prince Charles)のお相手候補としてデートを重ねたのは、当時19歳のダイアナの姉、レディ・サラ(Lady Sarah)だったが、結局13回のデートの末チャールズ皇太子と結婚する事になったのはダイアナで、二人は1981年7月29日、セント・ポール・大聖堂(St Paul's Cathedral)で「おとぎ話のような結婚式」を挙げる事になる。

結婚1年目にはウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge)、更に2年目にはヘンリー王子(Prince Henry of Wales) が生まれるが、二人の結婚生活は既に崩壊寸前だったと言う。その当時の様子をダイアナ妃は1995年に放映されたテレビインタビューの中で次のように赤裸々に語っている。
「私達の結婚期間中も、チャールズはカミラ・パーカー・ボウルズ(Camilla Parker-Bowles)と交際していて、チャールズとの結婚生活は所謂“三角関係”の上に成り立っていたの。そして、私は出産後のうつ病から拒食症を患ってしまったの!」

チャールズとの離婚後、ダイアナはチャリティー活動に力を注ぎ、数多くのロマンスを経験するが、最後のお相手となったのは、プレイボーイとしてその名を馳せる、ドディ・アルファイド(Dodi al-Fayed)氏! しかし、結婚を噂される二人は1997年8月、パリで交通事故に遭い、ダイアナ妃は若干36歳でこの世を去る事になる。

当時15歳と12歳だったウィリアム王子とヘンリー王子は、今でも母のぬくもりを忘れる事が出来ず、二人の胸の内から母への想いが消え去る事は決してないだろう!
昨年行われたインタビューの中でウィリアム王子は「今でも母を思い出さない日はありません。でも、15年と言う歳月を母と共に暮らす事が出来て本当に幸運だと思っています。」と語っている。

ヘンリー王子も2016年に行われたインタビューの席で「母は僕が結婚して子供をつくり、孫の顔を見る事を望んでいると思います。」と述べ、婚約発表のインタビューでも「今日のような日こそ母が側にいて、共に祝う事が出来たらと思わずにはいられません。」と、今は亡き母への想いを赤裸々に語っている。

又、母の死から20年後経った後も、その悲しみから乗り越える事が出来ず、精神科医の専門的な助けを借りる必要があったと言うヘンリー王子は兄のウィリアム王子と共に、今は亡き母ダイアナ妃の意思を引き継ぎ、公私ともにチャリティー活動に専念していきたいと語っている。

二人の王子曰く「母が僕達兄弟の事を誇りに思ってくれる事を願っています。」

FEATURE © MICHELLE GARNETT / OK! MAGAZINE
PHOTO © Rick Gold/ABACAUSA.COM/Newscom/Zeta Image


END.
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