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OK! インタビュー☆ソフィア・ローレン:“幸せを享受して実感することが美しく歳を重ねて生きる鍵”(前編)
イタリアが誇る伝説の女優として、85歳になった今でもそのカリスマ性を遺憾なく発揮しているソフィアの人生観とは。

limited 2020.06.20

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イタリアが誇る伝説の女優として、85歳になった今でもそのカリスマ性を遺憾なく発揮しているソフィア・ローレンが自身の人生観について語る。


威厳と気高さに満ち溢れる存在は、そうそう見つかるものではないが、独特のオーラを放つソフィア・ローレン(Sophia Loren)は、類まれなる銀幕の女王として、自国イタリアをはじめ、ヨーロッパ、アメリカの映画業界に君臨する映画界の偶像、そして息をのむように美しく、生きた伝説の女優として、85歳になった今でもそのカリスマ性を遺憾なく発揮している。
さらに、言うまでもなく、誰もが認めるエレガントさを誇る長身のソフィア(約175cm)は“永遠の女性美の象徴”としてだけではなく、イタリアが誇る“国宝”として世界から認められる存在でもある。誰もが認める、妥協のない優雅さと上品さを保ち続け、活力に満ち溢れた人生を満喫するソフィアに贈る言葉はまさに“賛辞”以外のなにもでもない!

2019年夏、『原題:ザ・ライフ・アヘッド』(The Life Ahead)で、ホロコーストからの生還者、マダム・ローザ(Madame Rosa)役で、約10年ぶりに長編映画に復帰したソフィア!
ちなみに、この映画は自身の最年少の息子のエドアルド・ポンティ(Edoardo Ponti)が監督を手掛けた感動作で、ソフィアは映画の中でセネガルから移民してきた12歳の少年の面倒を見る女性の役柄を演じている。そこには、再びカメラの前で演じる機会を享受し、10時間あまりに渡る現場撮影をものともせず、毎日を心から楽しむソフィアの姿があった!

「演じることは私の人生そのものなの。多分、私にとって演技は“自分がやろうとすること”“自分にとって可能なこと”を認識させてくれる“ツール”のようなもので、それは演技を知る以前の私には、できなかったことだと思うわ。
偲ぶ苦しみや、溢れるような喜びなど、心の中にある感情を素直にありのままに表現できる女優という仕事から、“表現する喜び” を含めて私は本当に数多くのことを学ばせてもらったと思っているの。」

『原題:ザ・ライフ・アヘッド』が上映されるまでの2年間、イタリアが誇る伝説の女優、ソフィアは“ソフィア・ローレンと語る夕べ(An Evening with Sophia Loren)”と銘打つ質疑応答イベントで、アメリカ国内をツアーで周り、ステージの上で元気で気取らない姿を披露していた。

第二次世界大戦後の貧しさを乗り越え、世紀の女優へのスターダムを一気に駆け上った、永遠の気品と優雅さをたたえるソフィアは、今もなお自身の輝かしい人生を謳歌している!

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写真左から:ソフィアの息子で映画監督のエドアルド・ポンティとソフィア。


1950年代、数多くのイタリア映画と共に、いくつかのハリウッド作品にも出演し、女優としてのキャリアを花開かせることになったソフィア・ローレン!
ちなみにその作品の中には、スタンリー・クレイマー(Stanley Kramer)監督による歴史ドラマで、1957年に上映された『誇りと情熱』(原題:The Pride and the Passion)や、1958年に上映されたコメディ作品『月夜の出来事』(原題: Houseboat)で、そのどちらの作品も共にケーリー・グラント(Cary Grant)と共演をしている、さらに、1958年に紹介された、マーティン・リット(Martin Ritt)監督、アンソニー・クイン(Anthony Quinn)共演による作品『黒い蘭』(原題:The Black Orchid)で、その迫真の演技が高く評価されている。

また、ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)監督による『ふたりの女』(原題:Two Women)では、第二次世界大戦後の混沌としたイタリア社会で苦労しながら子供を育てる母親チェジラ(Cesira)を演じ、見事1962年度アカデミー主演女優賞を受賞したソフィアだが、この受賞はアカデミー授賞式が始まって以来、海外の女優が外国語で演じる映画によるものということで当時は大きな話題となっている。
その他にも1964年に出演した『ああ結婚』(原題:Marriage Italian Style)が2度目のアカデミー賞にノミネートされ、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー名誉賞(Honorary Oscar)受賞という栄誉を手にしている。

長年に渡る人生を通して、その美しさとスクリーン上の役柄を超越するイメージで“セックスシンボル”や“偶像の女性”として君臨してきたソフィア!
そして、人生の困難を乗り越え、優雅なオーラと共に、耐えることを忘れない彼女の姿に世界のファンは魅了されている。ちなみに彼女の名前のLorenは“e”よりも“o”の部分にアクセントを置いて発音するのが正しいのだという。

2014年、自身の女優としてのキャリアや非凡な私生活の展望を綴った自叙伝『Yesterday, Today and Tomorrow:My Life』を発行したソフィアだが、著書の中ではケーリー・グラントとの目くるめくロマンス序曲や、彼からの求婚で逃避行も考えたという秘話、そしてその思いを断ち切って結局は人生を共にすることになる、その当時の婚約者カルロ・ポンティ(Carlo Ponti)とのイタリアでの生活の様子も紹介されている。

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写真左から:ソフィアとソフィアの夫で映画監督のカルロ・ポンティ(1966年)。


イタリアでも最も強固な国家ファシスト党政権時代の1934年、保守的なカトリック国家で私生児として生まれ、不遇な幼少期を送っているソフィア・シコローネ(Sofia Scicolone)!
そしてその後、イタリア国内でも最も貧しい地域と言われるナポリの郊外で育ったソフィアは、そのやせ細った体型のために近所の子供たちから“つまようじ”と呼ばれていたという。

これは最初にイタリアの映画監督、カルロ・ポンティが注目し、後に世界に紹介されることになるソフィアの思春期の女性らしい魅力的な体型を考えると、かなり皮肉なニックネームと言える。
女優になることを熱望していたソフィアの母、ロミルダ・ヴィラーニ(Romilda Villani)は、女性らしい豊満な魅力を称え長身の娘がスターダムに駆け上ることを夢見ていたという。
そして16歳でビューティーコンテストに出場し、ファイナリストに残った彼女は、女優としての勉強を始めることになる。
さらに、後に他のビューティーコンテストでソフィアに会ったポンティは、イタリアの制作会社による低コスト連続作品への端役出演を手配する。そして1957年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督による『原題:ザ・ゴールド・オブ・ネイプルズ』(The Gold of Naples)で、ソフィアはついにスターダムに駆け上るチャンスを手に入れている。

数多くの浮名を流したソフィアだが、初めての交際相手として噂になった相手がポンティで、その後C.S.フォレスター(C.S.Forester)の小説を基にパラマウント映画で制作された『誇りと情熱』(原題:The Pride and the Passion)で共演したケーリー・グラントに強く惹かれたことを告白している。
その当時、既にポンティと交際していたソフィアは22歳、3回の離婚を経験したグラントは52歳だったが、ソフィアに恋に落ちたグラントは、彼女に執拗に結婚を迫ったという。

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(1965年)


そして、イタリア・フランス合作のオムニバス映画『ボッカチオ'70』(原題:Boccaccio’70)や、マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)との共演による『昨日・今日・明日』(原題: Ieri, Oggi, Domani)、『ああ結婚』など、数多くのイタリア名作映画に出演し、自身の女優としての地位を確固なものにしたソフィア!
さらに1990年初期にはエットーレ・スコラ(Ettore Scola)監督による『特別な一日』(原題: Una giornata particolare)や、ロバート・アルトマン(Robert Altman)監督による『プレタポルテ』(原題:Prêt-à-Porter)などに出演し、1991年にはハリウッドでの長年の功績を称えられ、見事アカデミー名誉賞を手にしている。

ソフィア・ローレンは現在スイスのジュネーブ(Geneva, Switzerland)に在住し、カリフォルニアに住む孫たちと時間を過ごすため、2つの国を行き来する生活を送っている。


━━マダム・ローレン、あなたは女優として素晴らしいキャリアをお持ちですが、ご自分の人生を振り返った現在の感想を一言いただけますか?

どこから何を振り返っても、“素晴らしい!”の一言に尽きると思っているわ。私は元来とてもポジティブで、シンプルな物の考え方をする人間なの。そして、その本質は今でも変わっていないし、とにかく何事にもオープンで、どんなに些細なことでも手中にある幸せを楽しむように心掛けているわ。
それに嫌なことはすぐに忘れる才能も持ち合わせているようで、目の前で起きることを常に前向きに捉えて、自分が将来何をすべきか、何ができるのかということを考えるように努力しているつもりよ。


━━ご自身の“波乱万丈な人生の旅路”について、時々立ち止まって考えたりするようなことはありますか?

長く生きていく中で、一つのことを成し遂げて、そして自分でも想像したこともないような成功を手に入れると、過去の経験や昔の自分を現在と比較して語ったりするのはとても難しいことだと思うの。でも今振り返って言えることは、私は今まで精一杯生きてきたと自負しているし、恐らくこれ以上情熱に満ち溢れた人生を送ることはできなかったと思っているわ。


━━ここ数年間、アメリカ各地で“ご自身の人生と仕事”についてお話しなさる機会があったようですが、まだ誰からも聞かれていなくて、“こんな問い掛けがあったら面白いのに!”というような質問はあったりしますか?

会場にいる聴衆の前で実際に話しをしていると、会場の雰囲気を含めて全てが楽しく感じられるし、私に対する“愛”を感じる取ることができるの。もちろん、仕事に関する質問に答えるのはとても楽しいけれど、“なぜ『ふたりの女』でアカデミー受賞候補に挙がって以来、仕事の場に顔を出さなかったのか?”という質問がなかったことは、とても不思議に思っているわ。
でも、その質問を受けても、その当時の心境について、きっと私は何も答えなかったと思うけれど!

INTERVIEW BY WENN
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後編へ続く・・・。
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