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「私は引退はしません。私は俳優なのです。」と語る、大英帝国勲章デイム(DBE)の称号を授与されたデイム・ジュリー・ウォルターズ(後編)
演劇と映画のスターが、ジュリーの国宝的な地位を確固たるものにした。

limited 2018.02.27

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大英帝国勲章デイム(DBE)の称号を授与されたデイム・ジュリー・ウォルターズ(Dame Julie Walters)。


1983年度の英国アカデミー賞受賞式は、ジュリーにとって忘れられないものとなった。彼女は、この作品の演技に当初全く満足していなくて、「まさか受賞するなんて夢にも思わなかったわ。」と振り返った。
「回りの人達が代わる代わる私のコップにお酒を注いでくれて、受賞スピーチの為にステージに上がる頃には、すっかり出来上がっていました。その後、私は、ティム・ロス(Tim Roth)とテーブルの下に座り込んで天下国家を論じていて、アン王女(Princess Anne)にお目にかかり損ねてしまいました。ですから、こうして再び仕事が出来ているのが不思議なくらいです。」と話した。

しかし、ジュリーはその後数々の作品に主演して、観客と批評家の心を捉えた。『リタと大学教授』の成功の後、彼女はハリウッドに背を向け、イギリスでのテレビと映画出演に注力した。彼女とヴィクトリア・ウッドとの長年の共演により、沢山の人気テレビシリーズが誕生し、オーバーオール夫人(Mrs Overall)や『ディナーレイディーズ』(Dinnerladies)のペチュラ(Petula)といった人気キャラクターを産み出した。
2016年にヴィクトリアが癌で亡くなった事について、ジュリーは最近「未だにとても不思議です。自宅に彼女の写真を飾っているのですが、その写真に向かって“今どこにいるの”と語りかけます。彼女は私の人生に於いて、また私の仕事に於いても、とてつもなく大きな存在でした。」と語った。

1980年代半ばに、ジュリーはAAロードサイド・テクニシャン(AA roadside technician)のグラント・ロフェイと出会った。「もしこの男性と上手く行かなければ、他の人と上手く行く筈が無い、と思いました。彼には本当に感謝しています。」と彼女は話した。

12年間の同棲生活を経て、1997年に結婚した夫についてジュリーは、「私達は、お互いを誉め合います。彼は私と同じ業界の人ではありませんので、私がテレビドラマの出演シーンについて心配していると、彼は“ジュリー、たかがテレビ番組じゃないか。やかんをかけに行っている間に見逃してしまうよ”と言ってくれます。すると、確かにその通りだと私も思うようになるのです。夫は健全な見方が出来て、セレブリティーには興味がありません。」と語った。

ジュリーは、40歳の時に一人娘のメイジー・メイ(Maisie Mae)を出産して、母親になった。メイジーは、2歳の時に重い白血病にかかったが、その事について「本当に恐ろしくて、ショックでした。」とジュリーは打ち明けた。幸いにも、6歳の誕生日を迎える前に、メイジーは全快した。

現在ジュリーは、ウェスト・サセックス(West Sussex)の有機農場で暮らしていて、40頭の牛、300頭の羊、数頭の豚、700羽の鶏と七面鳥を飼育しており、彼女の祖先との結び付きを絶やした事が無い。
ジュリーはまた、彼女の演劇の経験を役者を志す若者に伝える事に熱心に取り組んでいる。「当初、助成金は全くありませんでした。昔は、労働者階級に属している事を喜ぶ風潮があって、日常の深刻な問題を扱った演劇を通じて、多くの事を学びました。しかし最近では、誰もが上品になって、イートン校(Eton)を目指す様になりました。私がかつて話していたような話し方をすれば、俳優になる事は出来ません。でも物事は巡っていますので、それも変わるでしょう。景気が悪くなるに連れて、新たな演劇が登場する事でしょう。」と彼女は語った。

多彩なアクセントを駆使して演じ分ける事が出来るジュリーには、これからも役が絶える事は無いだろう。彼女は最後に「私は引退はしません。私は俳優なのです。」と語った。

FEATURE © LUCIE BARAT / OK! MAGAZINE
PHOTOS © Toby Hancock / N&S Syndication


END.
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