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「私は引退はしません。私は俳優なのです。」と語る、大英帝国勲章デイム(DBE)の称号を授与されたデイム・ジュリー・ウォルターズ(前編)
演劇と映画のスターが、ジュリーの国宝的な地位を確固たるものにした。

limited 2018.02.23

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大英帝国勲章デイム(DBE)の称号を授与されたデイム・ジュリー・ウォルターズ。


労働者階級のヒロイン、デイム・ジュリー・ウォルターズ(Dame Julie Walters)は、50年余の長きに渡って、イギリスの人々を楽しませてきた。
このバーミンガム(Birmingham)出身のスターほど普通のイギリス人を鮮やかに演じる事が出来る人は、他にはいない。

最新作の『パディントン2』(原題:Paddington 2)(日本公開1月19日)ではバード夫人(Mrs Bird)の声を演じている67歳のジュリーは、大英帝国勲章授与のニュースに接し、夫のグラント・ロフェイ(Grant Roffey) に向かってこう言い放った。「グラント、私はデイム(DBE)になったのよ。今すぐ跪きなさい。」

ジュリーは、今年のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』(原題:Mary Poppins: 1964年)の続編『原題:メリー・ポピンズ・リターンズ』(Mary Poppins Returns)とミュージカル映画『マンマ・ミーア!』(原題: Mamma Mia! : 2008年)の続編『原題: マンマ・ミーア・ヒア・ウィー ・ゴー・アゲイン』(Mamma Mia ! : Here We Go Again)に出演する事が決まっている。 『マンマ・ミーア・ヒア・ウィー ・ゴー・アゲイン』について彼女は、「私は、てっきり『マンマ・ミーア!』で全部曲を使い果たしている、と思っていたら、まだとても良い曲が残っていたわ。」と話している。

ジュリーが数多くの時代劇に出演している事は、彼女の有名な優しい性格が寄与している。しかし、控えめな彼女は、彼女の温かさについての発言を次のような言い方で一蹴する。「あるジャーナリストに“あなたの事を悪く言う人に出会った事がありません”と言われたので、私は、“あら。何て素敵なお仕事をしていらっしゃることでしょう”と答えたの。」

1950年にジュリーは、アイルランド・メイヨー州(County Mayo、Ireland)出身の郵便局職員だった母親のメアリー(Mary)とバーミンガム出身の建築業者の父親トーマス(Thomas)の末っ子として生まれた。
彼女と二人の兄は、カトリック教徒として育てられ、彼女は女子修道院付属学校に入学した。ジュリーは、母親の厳格な価値基準について、苦々しげにこう振り返った。「彼女は“参加する事に意義がある”と考えるような人物ではなくて、例えば、三番になったとすると、一番は誰なのかを知りたがりました。」

ジュリーはおしゃべりな子供で、クラスの劇に進んで出演していた。「私は、家族全員と学校の先生達の物真似をしていました。他にはどうすれば良いか分からなかったからです。でも中学校では修道女が先生でしたので、大変でした。」と当時を振り返った。

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映画『リタと大学教授』(原題: Educating Rita: 1983年)でスターになったジュリーだが、彼女の学校生活は、中断を余儀なくされた。彼女は15歳の時に“危険分子”として退学になったのである。退学後保険会社で働いていた彼女を、母親は、看護婦になるように説得した。

バーミンガムのエリザベス女王病院(Queen Elizabeth Hospital)での日々を彼女は懐かしく振り返って、「私は、患者さん達と一緒にいるのが大好きでした。彼らの体を洗い、食事の世話をし、冗談を言い、彼らの葡萄をつまんだり、そうしたこと全てが大好きでした。私は、彼らを笑わせる事は得意でしたが、それ以外の看護婦としての仕事は上手く出来ませんでした。それでは看護婦として相応しくありませんよね。」と話した。

しかし、ジュリーが在籍した18ヶ月の間に、彼女の好意的な観客を笑わせる才能に磨きをかけた。彼女は、冗談めかして、「彼らは、ベッドの上で長い時間を過ごすので私の話を聞かざるを得なかったのです。」と打ち明けた。

看護婦の仕事を辞めた後、ジュリーは、マンチェスター工芸学校(Manchester Polytechnic、現マンチェスター・メトロポリタン大学、Manchester Metropolitan University)で英語と演劇を学んだ。卒業後彼女は、エブリマン・シアター・カンパニー(Everyman Theatre Company)に入団して、駆け出しの俳優とイギリス各地を公演して回った。

その中には、ビル・ナイ(Bill Nighy)、ウィリー・ラッセル (Willy Russell)、ジョナサン・プライス(Jonathan Pryce)、そして彼女と5年間恋人同士だったピート・ポスルスウェイト(Pete Postlethwaite)がいた。彼らは、学校やパブでコミュニティ演劇活動を行った。ジュリーは、70年代中頃の当時を振り返って、「私は、『去勢された女』(The Female Eunuch)を読み、ピルを服用し、演劇革命の中心にいる気分でした。私達は、場末のパブでも公演を行いましたが、ギネスビールを4杯飲んでからステージに上がりました。その頃は、そんな事は全く考えていませんでした。」と語った。

その後は、話題作の重要な役も演じるようになり、大学時代に知り合ったヴィクトリア・ウッド(Victoria Wood)との喜劇共演でも注目されるようになった。
しかし、ジュリーのブレイクの最大のきっかけは、1983年に映画『リタと大学教授』でサー・マイケル・ケイン (Sir Michael Caine)の相手役を演じた事である。
彼女がロンドンの演劇街、ウェスト・エンドの劇場で話題を集めた彼女の主演舞台を映画化したこの作品で、殆ど無名に等しかった彼女は、一躍有名女優の仲間入りを果たした。
彼女はこの作品で、1983年度のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた他、英国アカデミー賞(BAFTA)主演女優賞とゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。

FEATURE © LUCIE BARAT / OK! MAGAZINE
PHOTOS © Toby Hancock / N&S Syndication


後編へ続く・・・。
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